大丈夫の末路
夏の日差しが、良く研いだ刃物の様に地肌を焼く。
空気を吸えば吸う程、肺が内側から溶かされると感じる程に暑い。
どうしようもなく暑い。
溶岩の様なアスファルトが、夏特有の切れ味の良い白い光を乱反射する。
朦朧とする意識は、だんだんと眠気を帯びてゆき、ああ…もっていかれる。と感じた時には、着古したがTシャツとジーンズがまるで水を吸った様に、重くなりうつ伏せで倒れていた。
路面でアスファルトに吸収されつつある自らの姿は、もし俯瞰できたらきっと人生で1番笑える姿だっただろう。
少し残念に思いながら、身体に自分の意思を繋げる事が難しい事を気づいた。
視界には、蟻が群がる蝉の死骸ががあった。聞こえる筈もない、蝉の解体され微かな音が明確に聴こえる。かさかさかさ…
夏に淘汰される。
きっとそれは、自分も。
蝉の死骸に恍惚とした眼差しを向けても、死骸は物で蟻は、生きる回路を全うしている。
ふと思い出した。
学生時代につくった知識もない浅はかな作り話を。
「修行僧が輪廻から解脱する最後の姿は蝉なんだ。」
顔も思い出せない、しかし、やけに趣味だけが合った学友に話した。
「蝉は長いと16年のもの間土の中にいる。
ただ1匹で真っ暗で不自由な世界がその小さな個体にとっては、数年は永遠であり、その暗闇の中で只管己と向き合い三毒を捨てる。
そして、成虫になって殻を破り柔らかい不透明な翅を伸ばして、飲まず食わずで只管7日間読経を終え、荒業を成し遂げ解脱するんだよ、……まあ、作り話だけどね。」
旧友は笑ったかもしれない。
もう何年も会っていない。
ただ、覚えてるのは、「君は自分の作った嘘で生きていけるね。」
そうだ。生きる行ける。今迄も幾度となく大丈夫だと良い聞かせてきた。
自分に大丈夫だと呪いの様に言いかけてきた。
だから、今回も大丈夫なんだ。誰もいないごみ収集所の裏手の路道で小さくて呟く。
大丈夫、
側頭部から流れ続けていた血液は時間が経って薄黒くなり、頬つたい暑い地面に血溜まりを作る。冷たく震える唇が、無意識にその冴えない朱色を啜った。
たかが、親の所為で殺されかけた。
本人達は、既に用意周到に逃げ切っていた。置いていかれる身にもなれ、
こちらの予定なんて完全に無視された、きっちりと内側から窓枠に貼られたガムテープを剥がした。
奥の部屋から自分の人生とは無縁だと思っていた類の人間から、自分の名前を呼ぶ声と近づく足音が響いた。
誰だ、
聞き取れたのはそこだけだったら。
ゆっくりと開かれた、曇りのないナイフがひかる。
真っ直ぐ此方に向けられていた。
だから、殺した…と思う。死んでいてもおかしく無いほど玄関に置いてあった傘で、何度も穴をあけた。
借金で自分を殺す親と借金
啜った血液を口の中でゆっくりと舌や歯の隙間に循環させてから吐き出す。全身が震え出した。
今度は、誰も殺さなくて良いように。 「大丈夫」と言う暗示に溺れる必要もない。これからは、
味覚も遠く離れた所に行った。
しかし、自分の血液から生き物の味がした。
そう、これが証だ。今回も大丈夫なんだ。
サイレンの音が人の声が聞こえたような様な気がした。
この季節に淘汰され、もう一度と、願う。
流れた血液が蝉の死骸につからない様、酷く重たい小指の先で死骸を自分から離した。
嘘じゃなく、ただただ生き直したい。
この人生で。
大丈夫だと、他人の想いを受け取らなかったこの心を何処かに打ち捨てて。
大丈夫なのだから、
だったら、この先のルートは変わらない。
あんなに暑かった、アスファルトが温かく感じる。
もう、大丈夫。他でもない自分が言った。
見覚えのある、くたびれたハイカットのスニーカーの先が見えた。
途端に暗闇が広がった。
喧騒もない、どこか、芳しい土の匂いに包まれる。
身体が今迄感じた事が程に軽い。
さあ、あと何回死んだら蝉になれるんだろうか。
浅ましい願望だと笑ったと思う。